今日からまた新たな調査員を案内している。今回は2079年からだ。
調査地は、南部とだけ言っておこう。
ヴァーシュニーから写真を撮ったが、女性調査員が写ってないか心配だが、大丈夫であろう。
さて、ここのところ、実体験の話が濃いからかわからないが、私に感謝のメールが多くなってきた。
プリントアウトしてファイルに保存している者や、デヴァイス自体に保存し何度も読み返している者、自身の声で私の文を読み上げ外出先で聴いてる者、様々いるようだ。
私の話は、机上の空論で埋め尽くされた、内容が薄い自己啓発本とは、凄みが雲泥の差だからだろう、とも考える。
あと、数ヶ月前から、いくつかの大学、いくつかの企業、いくつかの団体から、講演の依頼が来ている。しかし、すべて断っている状況だ。つい最近、外国メディアからも大金を積まれたが断った。
いいか。申し訳ないが、未来人の案内人として、表に出ることはまず無いと思っていてくれ。
私は、あなたを陰で支える黒子としての存在で十分だと考えている。
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「現代の不可能」
現代2017年現時点で、“不可能”として言われていることは多くある。
例えば、時空を超えるタイムマシンも、不可能のレッテルを貼られているのが現実だ。不可能の理由は、「アインシュタインが言ったから。」が殆どだ。
そう、有名なアインシュタインの、相対性理論の記述、それが一般的な常識として認識している、という経緯だ。
だから逆に、「光を超える」、などと言ってしまえば、それだけで非常識な者だとレッテルを貼られる恐れもある。
それほど、光を超えるなんて不可能だと世界中で浸透化している。こういう、ただただ不可能と認識されている、もしくはされていたことは現代に結構ある。
例えば、「原子力」を例にあげるとする。せっかくだから、アインシュタインを例として出す。アインシュタインは、1932年にこんな事を言っている。
「原子力エネルギーを人類が扱える可能性などありえない。」
あなたは不思議に思わないだろうか。
1932年にアインシュタインは、原子力を扱うのは不可能、と言っている。しかし、現代を見渡してみよう。原子力エネルギーとして人類が扱っているではないか。
アインシュタインのビリーヴァーは、頑なに「扱えていない」と張っているようだが、その屈折した考えがまかり通れば、人類は大地も水も火もすべてを扱えていないとなり、そして、スグに議論が破綻してしまうことになるが、と言いたい。
他にも考えてみる。ニューヨーク・タイムズ誌は1936年にこんな事を言っている。
「ロケットが地球の大気圏の外を出るなど、絶対にありえない。」
勿論、世界中の者が不可能であり、絶対にありえないのが常識と思っていた。しかしどうだろう。今までに数え切れないほど大気圏の外を出ているではないか。ほかにもあるぞ。
かつて存在した、アメリカを代表するコンピュータ企業DECの創立者ケン・オルセンは、1977年にこんな事を言っている。
「一般家庭がパソコンを欲しがる理由が見当たらない。」
勿論、それが当時の常識、一般家庭に普及など不可能であり、その考えが常識と認識されていた。
しかし、現代では、一家に一台のパソコンどころか、一人一台以上の携帯デヴァイスを、あなた自身が常時持ち歩いてるほど普及しているではないか。
しかもその携帯デヴァイスは、1977年当時のコンピューターの数百倍以上、遥か上をいく高機能に仕上がっている。
要するに、私がここで言いたいのは、何でも不可能と決め付けるのは、先見性が無さ過ぎる。あまりに固定観念に囚われ過ぎていると言いたい。
しかもそれは、上記アインシュタインの影響のように、誰かの影響で不可能と決め付けているのであれば、人に流されやすいタイプの人間なのかと考えてしまう。
ほんの数年前まで、車の自動運転なんぞ怖すぎて、無理だ、不可能だ、と言われていたのが常識だったな。しかし、今の状況を見てもそう言えるか考えるんだ。
空飛ぶ車であっても、数年前まで映画やアニメの話と思われ、夢のまた夢の不可能と認識されていたが、現状を見渡してもそう思うだろうか。
ドローン技術とのコンビネイションを考察しても、不可能だと言えるだろうか。もうさすがに言えないはずだ。
他にも、テレポーテイション、いわゆる瞬間移動も同じこと。数年前までは、絶対に不可能とレッテルを貼られていた。
人によっては、ドラえもんのどこでもドアかよ!と突っ込んだであろう。しかし、実際に研究テストで成功してるではないか。
地球の歴史は、長そうで短い。人類が誕生し、今まで何千億人、何兆人も、様々なことに挑戦してきた。
その者たちは、“その時の状況の自身の限界値”として、膨大な数の功績を残してきた。しかもそれらは、当時の状況で「有限である」と言うことだ。
要するに、時間が経つとそれ以上の可能性を多く含んでいる無限な存在ということで、決して現時点の有限は限界値ではないこと。
しかし、現代人の認識レヴェルを考察すると、それが今の常識であり、限界値であり、それ以上は不可能、と何の証明も無しになぜか勝手に烙印してしまっている状況だ。
時空ダイヴ、いわゆるタイムトラヴェルであっても、各専門分野で様々な研究や議論がなされてはいるだろう。
研究を散々やって、現時点で見つからなければ、その中には答えは無い可能性が高いと判断すべきなのに、不可能と決め付ける。
これは、タイムトラヴェルだけに限らず、あなたの周りに多く存在する、現代の不可能と考えられている様々な事でいえることだ。
要するに、現代の常識の中に答えは無く、実際は外に答えがある可能性が高いということ。
現代の常識として認識されているもののすべては、未来までの一時的な過程に過ぎないのが事実だ。
私は、実際に各年代の未来人の案内人をやっているが、こんな言葉を目にする。
「タイムトラヴェルは永遠に不可能。絶対に不可能だ。」
不可能を誰かが証明したのであろうかと。未来ではタイムトラヴェルが常識であるのに、なぜなんだと。
アインシュタインは、あくまで自身の理論を述べたのであり、証明はしていないのは理解できるだろう。
そして、何より不可能を証明していない。それで本当に不可能と言えるのかというと、勿論不可能とは到底いえないという事になる。
タイムトラヴェルだけでなく、現代で言われている様々な不可能なものにも言えることがある。
「見る側面を変えて、視点を増やすこと。」
これは、最重要なことだ。地味でシンプルであるが、想像以上に効果が物凄く大きい。
必然的に、今までに無いブレイクスルーを生み出せる可能性が、一気に高まるのはいうまでもない。
人の成功も同じこと。
不可能なことを可能にする者は、多角的視点を持つ者ばかりだ。近視眼的視点を持ち続ける者は、一向に不可能を可能にすることは出来ない。
あなた自身も、実現したいことを不可能と判断し妥協して諦めていることが少なからずあるだろう。しかしそれは、実際は可能なのだが、自身で勝手に証明も無しに不可能と判断してるに過ぎないと言う事だ。
一度きりの人生。可能なことを不可能だと判断し心残りの妥協した人生を送るのも人それぞれ。
しかし、私にその選択肢は微塵もない。
だから私は願っている。少なくともあなただけは、多角的視点を持つ者として生きて欲しいと。
追伸
さて、もうすぐ2062年未来人公式サイトで解禁日を大発表する。
今夜19時に必ず確認してくれ。
▼2062年未来人公式サイト
http://2062.jp/index.html
覚悟はいいか。
あなたは必ず、2062年未来人の機密音声8時間の解禁日をチェックするんだ。
▼意見や感想は、ここで受け付けるとする。
http://goo.gl/forms/QDDxMYMNObtaU9nI3